2012年9月14日金曜日

「草枕」と治療

漱石は自分の神経衰弱の治療のために「吾輩は猫である」を書いたわけだが、「草枕」は主人公が治療のために旅をする話であるともいえる。

『ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。』(第1章)

ここでいう”こう云う感興”とは『わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯る』ことであり、『俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる』ことだ。その感興が薬になるという。

主人公は一体何の病であるのかは不明だが、山登りするほどに体は健康そうだし、主人公が気にかけることが他者との関係性に於けるいざこざに関わることばかりなので、やはり神経衰弱のような病気だろうと推測出来る。つまり、この主人公は漱石自身なのだろう。「吾輩は猫である」と同様、「草枕」もまた治療の書であり、「吾輩は猫である」の方はそれを書くこと自体が治療であったのに対し、「草枕」は内容自体が治療の過程の物語となっている。なので、「草枕」の方は現実の漱石にとってはただの空想であり、理想にすぎない。まさに「桃源」。ちなみにこの物語の舞台となっている那古井とは、熊本の小天のことで、「草枕」は漱石が実際に小天に行ったときのことを元に書かれた物語と言われている。(第7章の冒頭に『もとより別段の持病もない』とあるが、温泉での話であることから、これは体の方だろう。ちなみに漱石が胃潰瘍で入院するのはだいぶ後)

『すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。』(第1章)
わざわざ”非人情の天地に逍遥したい”という願望があるということは、人情に関わるいざこざで神経を病んでしまったのだろう。
『苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。』(第1章)
と、自身の情にも飽き飽きしている。

ところで、第4章に白隠和尚の「遠羅天釜(遠良天釜)」が出てくる。この「遠羅天釜」は、白隠が自分の病気(禅病)を治すために用いた方法論(軟酥の法や内観の法などを白幽子という長老に授けられる話)などが書かれた「夜船閑話」とともに、養生の書。わざわざ物語の小道具として「遠羅天釜」を持ってくるあたり、「草枕」の漱石にとっての意味合いを暗に示しているようにもみえる。「草枕」は漱石版「遠羅天釜」、あるいは漱石版「夜船閑話」という側面もありそうだ。

さて、神経衰弱というものが現在のどの病気のことを指すのか定かではないが、人情のいざこざから来るということは、神経過敏から来る何かだろうか。詳しくは分からないけど、その人情なるものを問題としない技として、「非人情」というものをひねりだしていく。つまり、非人情とは治療の為の技術であり、知恵であった。

その非人情によって治癒したのかどうかは書かれていないが、ラストにあれだけ無神経なことが言えるのだから、神経の病は癒えたのかもしれない。