2010年1月31日日曜日

空ナナ



■西荻窪のカフェ「空ナナ」でジンジャーティーを飲みながら寺田寅彦の「柿の種」を読んでたのだ。
このカフェは初めて入った。
かなりイイ。
クウネルやリンカランなどにも出てきそうな店。
店内には総菜とか本なども置いてある。
犬関係の本とか空の写真集などが沢山置いてあるのだが、カウンター席の端っこに池田晶子の本がさりげなく置いてあったのを僕は見逃さない。
ちなみに客は僕以外全員女子。

「柿の種」の序文には『なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい』と書いてある。
この本は短い文章ばかりで成り立っているもの。
大正時代〜昭和初期にかけての随筆。
何故か「空ナナ」の空間にはピッタリだった。

■庭にスズメの指定席があるのだが、そこにヒヨドリが座ってた。
よく見るとその少し横にスズメもちょこんと座ってた。

■庭で育ててる二十日大根がなかなか大きくならない。
ひとつだけ取ってみたけど、なんだか小さい。

2010年1月30日土曜日

ジョン・ルーリー展

■青山のワタリウムでやってるジョン・ルーリー展を見てきた。
会場にはラウンジ・リザーズの音楽が流れてたり、昔のインタビュー・ビデオが流れてたりしてた。
現在のジョン・ルーリーの写真もあった。
闘病のせいかすっかりはげあがった頭で釣りをしてる写真が何だかとてもいい感じだった。
5月までやってるのでまた何度か見にいくことにしよう。

■北杜夫の本で読んだのか何なのか忘れたが、作家の阿川弘之は奥さんが要領の得ない話をもぞもぞとはじめると「結論から言え〜!!」とちゃぶ台をひっくり返したのだそうな(笑)。
日本語は文法上、述語が最後に来るので、話の仕方も結論をラストに持ってくる人が多い。

ところで、こんなツイートがあった。
『Twitterとは表現の中抜きである。1冊の本でも本当に言いたいことは140文字だったりして。結論だけ言え、と。』(https://twitter.com/metakit)
たしかに言えてるような気もするがよく考えるとそんなこともない場合も多い。
言語による表現であっても、表現したいことは言語にならぬようなものだったりもする。
その場合、フィクションという形を取って言語によって表さなければならない。
そこでは、言いたい事なんてのは文章そのものにあるわけではなく、文章はあくまで「示す」だけなのだ。
月をさす指は月ではない、という禅の話みたいなもんだ。

村上龍がとあるインタビュアーに「この本で、言いたいことは何ですか?」と質問された。
これに対し「そんなもの、ひとことでは言えないからこれだけの量の文章なのではないか」と答えた。
そりゃそうだ。
ひとことで済むなら文学(フィクション)なんぞいらぬ。
語れないから示すしかないのだ。

これが、「表現」ではなく単なる「つぶやき」の場合には言いたいことはひとこと(140字)で済むかもしれない。
というか、そもそもtwitterはつぶやくもんだし。

■滝良子のミュージックスカイホリデー(ニッポン放送)を聞いてたら、「時代遅れの恋人たち」が流れてきた!
ゆうひが丘の総理大臣のテーマ曲(爆)。
まさかこの曲をAMラジオの音で聞けるとは思わなかった。
やはりこの番組はすごい。
30年以上前のラジオの雰囲気そのままだ…(笑)。

■AppleのiPadが出たと騒いでる。
iPadで日本語の本が読めるようになる日はいつになるのか。
とはいえ僕は普通に本を買うだろう…。
とこでろiPadは絵本なんかも読めるのかな?
絵に関してはどのように映るのかが気になる(まあ、iPadは本ではないので「絵本」にはならないわけだが…)。

iPadで絵本なども全部見られるようになったら、それこそ本当に凄いことになる。
図鑑や画集など、かさばるものなんかはiPadの方が良い場合もあるかもしれない…。

なんてこと言いながら、僕はまだiPodもiPhoneも持ってないのであった…。

2010年1月27日水曜日

スズメ@Youtube

■スズメ同士のケンカをスズメが見物
http://www.youtube.com/watch?v=yYpoeQt0imI&feature=player_embedded

そういえば最近うちの庭にはスズメとともにメジロもやってくるのだが、メジロは食べ物が無くてすぐにどこかに行ってしまう。
メジロは果物などを食べるのでみかんとかを置いておけばやってくる。


■因果関係による説明というのは、でっち上げられたものもやたらと多いのではないか。
全く関係のないAとBという出来事があったとして、そのAとBを線で結んだときに、因果で考えるとその線が分かるような気になってくる。
しかしながらそもそもそのAとBとは全く関係無いものであった。
なのでその因果とはただのフィクション(でっち上げ)。
つまり、単に分かりやすいという理由から因果関係での理解が選ばれやすいのではないか。

■分かりようのないものは分からないままにしておかなければならない。
分かりようのないものを無理やり因果関係で説明したり言語づけしたくなるのは、分からないものを分からないまま放っておくことに耐えられないからだろうか。
しかしながらそうやって因果で説明したものや言語づけしたものはフィクションにすぎない。

2010年1月26日火曜日

■「点」を出来事とする。
バラバラにある点と点を順に結んでいき線にする。
線にすることで時間軸が出来、因果関係も出来る。
これが「物語化」。
ところがこの線は元々は単にバラバラにあった点の集まりにすぎないのであった。
そこには時間の前後も無ければ因果関係も無かったのであった。
ただの点の集まりを、線にすることで理解しようとするのは、言語というもののせいだろうか。

■「なれなれしいスズメ」
http://www.youtube.com/watch?v=ibP1WW8VTpo&feature=related
前に住んでたマンションにもこういうスズメがよく来て、僕は手でエサをあげたりして遊んでた。

2010年1月22日金曜日

シュリンク

■本屋でマンガのコーナーを見てたのだ。
いくつか気になった本があったものの、どの本もシュリンク(ビニールのカバー)がついてて立ち読みすることが出来ない。
僕は本を買うときには中身を少し見て確認してから買う。
しかし漫画本だけは中身を見ることが出来ない。
だから買えない。
こういう人、かなり多いと推測する。

僕は小学生の頃からかなりの漫画読みで、相当買いまくっていたのだが、漫画本にシュリンクがつくようになってから漫画の新刊本を買う習慣が徐々に無くなった。
かつては、漫画雑誌を読んでその中で気に入った作品の単行本を買うというのとは別に、ぜんぜん知らない漫画家のぜんぜん知らない作品を立ち読みで発見して買う、というのもあった。
が、現在ではシュリンクがついているので後者の買い方は出来ない。
それに僕は今では漫画雑誌は全く買っていないので前者の買い方も出来ない。
古書店では立ち読みが出来る所もあるのでそちらで買うことはあるが、そういう所はいつも混んでいるのでゆっくり選ぶことも出来ない上、種類も限られてしまう。

買う気満々の人間に対して、売る方が門戸を閉ざしている。
珍しい業界だな…。

■それはそうと、絵本コーナーに置いてあった漫画が面白かったので、買った(絵本扱いだから立ち読みできる)。

■「意味がわからない昭和語ランキング」
http://ranking.goo.ne.jp/column/article/goorank/9729/
1 キモサベ
2 可取り専攻
3 ウニる
4 BG
5 カイワレ族
だそうだが…、全く分からない。
BGってのはビチグソ(@まことちゃん)のことか?

■今日はスタバで漱石の「自転車日記」を読んでた。
何度読んでも面白すぎ。
後年の有名な新聞小説たちの百倍くらい素晴らしい。
北杜夫のエッセイの手法と極めてよく似ているんだけど、ひょっとしてこのへんが原形なんだろうか。

2010年1月20日水曜日

自転車

■自転車を発明した人はエライと自転車に乗っててふと思ったわけなのだ。
なにがエライって、歩く速度よりも速いのだ、しかも人力だけで動かすことが出来るのだ。
こんな奇妙なものをよく発明したもんだ。
わずか百年ちょっと前の明治時代には自転車に乗る人なぞほとんど居なかったみたいだけど、今じゃ自転車に乗らない人の方が珍しい。
してみると、あと百年後には自転車に代わるナニカを皆乗ってるかもしれない。
そのナニカが一体どんなものなのかはサッパリ想像つかないが。
それとも、ひょっとしたら百年後も相変わらず人々は自転車を乗り回してるのだろうか。

ところで僕が小学4年生(1977年)のときに描いたマンガで「21世紀の世界」というのがある。
いろんなところからアイデアをパクったようなよく分からないマンガなんだけど、そこに描かれている世界とは、高層ビルが立ち並び、自動車のような乗り物が自由に空中を飛びまわり、人はみな特殊素材の服を着て、ビーム銃みたいなものを持っている・・・(爆)。
自転車なんかに乗ってる人はいなくて、そのかわり空中を飛べるスクーターに乗っているのだ。
おそらく手塚治虫に元ネタがあるんだろうが、21世紀とはそんなイメージだったのは確かだ。

がしかし、21世紀も10年を過ぎた今、そんな世界になってるわけは無く、見かけ上は1977年とたいして変わって無い。
インターネットや携帯電話といったものは全く想像出来なかったけど、車やスクーターが空を自由に飛びまわるなんてことはないのであった。
みんな相変わらず自転車に乗ってるし、高層ビルが立ち並ぶ未来都市なんぞはどこにも無い。
むしろ緑を増やそう的な雰囲気。
今の子供達が描く未来の世界ってのは、緑の多い世界なんじゃなかろうか。
僕の子供時代にえがいた未来は高層ビルばかりで緑なんかひとつもなかった。
とはいえ僕の子供時代なんてたった30年ほど前のこと。
たった30年で未来観が180度変わったことになる。

さて自転車の話に戻ると、人の体型がたいして変わらない以上、百年後もやっぱり人力による自転車は残るのではないか。
さらに軽くて丈夫な素材になり、折りたたんで小さなスーツケースとして持ち運べる。
駐輪場には自転車をそのまま置くのではなく、その小さなスーツケースを置く場所になる、とか・・・。
いや、そんなのは十年後くらいには実現してたりして。

■黒いスズメが出現したとか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100120-00000002-san-l27
意外にかわいい。

2010年1月19日火曜日

モチを食べていない、ってことに気づく




■そういえば今年の正月はモチを食べていない、ってことに気づく。
去年も食べ無かった。
その前も食べなかったな。
昔は正月には正月らしい食べ物を食べてたものだが・・・。
あ、おせち料理も食べてない。

2010年1月17日日曜日

「書斎の達人」「COW BOOK」「雀の生活」

■「書斎の達人」という本を立ち読みしてたんだが、そこに楳図かずおが出てる。
楳図かずおは引越をするときに膨大な量の本を処分したとか。
で、そのときどうしても捨てられない本として残ったのが数冊の本。
それらはみんな子供の頃に買った童話や昔話のたぐいだったとか。
これは深い。
童話や昔話が深いってことではなくて、子供の頃に出会ったものというところが深い。
前にも何度か同じことを日記に書いたが、子供時代に出会った本というのはやはり後々まで大事なものとして残るのではないか。
少なくとも僕にとってはそうなので皆そうなのかなと思ってたのだが、どうなんだろ?
僕は小学生の頃に気に入ってた本は今でも自分の中で重要なもので、たとえそれがどんなにくだらない内容であってもやっぱり外せないのだ。
たとえば僕にとっては、今ではとっくに絶版で知る人もほとんど居ないと思われるデンマークの絵本「ビクターおじさん はしをかける」(ヤン・ルーフ作・小学館)、
70年代の少年チャンピオン黄金期の人気作品「月とスッポン」の9巻、「マカロニほうれんそう」の4巻、
このあたりは絶対にハズせない(笑)。
内容がどうのという以前の問題。
(もちろん、自分にとって重要な本は全部が全部小学生時代に出会ったものだというわけではない)

■中野の古書店で「COW BOOK」(平林美紀)という写真集を買う。
COW BOOKSではない。
COW BOOK。
牛の写真集。
これは最高。
牛がみんなかわいい。

■吉祥寺のスタバで「雀の生活」(北原白秋著/新潮文庫)をずっと読む。
この本はすごい。
旧仮名遣いで非常に読みづらいものの、雀の話ばかりで引き込まれてしまう。
北原白秋は雀に救われたそうだけど、僕も同じ。
この本は現在絶版。
阿佐ヶ谷の古本屋で売ってるのを最近見かけたが、やはりプレミアがついてて多少高い。

2010年1月16日土曜日

ネコ



■ネコがやってきて、陽の当たる場所に寝転がり、寝たまましきりに顔を洗っていた。

2010年1月14日木曜日

デジアナ。エア参拝。

■僕が普段使っている腕時計はシチズンの元祖デジアナ。
日付は1970年1月14日になっている。
カレンダーが2009年までしかないので、今年になったとたんに1970年になった。
ちなみにこのデジアナを買ってもらったのが1979年で僕が小学6年生のとき。
当時の新製品だった。
今じゃ骨董品として高値で取引されている。
当時、まさかこの時計を2010年まで使う人は居ないだろうとシチズンは考えたのだろうが、2010年になっても使ってる人はここに居る。
僕はこの先何十年でも使う勢いだ。

ところでこのカレンダー、何故か曜日まで合っている。
1970年の1月14日ならば水曜日であるはずなのに、ちゃんと木曜日になっている。
何故か?
実は西暦の部分と日にちの部分と曜日の部分がそれぞれ独立しているのだ。
日にちも曜日もそれぞれ別々にセッティング出来る。
西暦も自由にセッティング出来る。
ただ西暦部分が2009年までしか表示出来ないのでつぎの年になると1970年になってしまうというだけなのだ。
1970年であれば、それ以降来る「うるう年」も同じ(2010-1970=40で4の倍数になってるので)なので日にち的にも問題無い。
そんなわけでこれからもこの時計のカレンダー機能は使えるわけなのだ。

■京都の清水寺に参拝してきた。
というか、エア参拝だけど(笑)。
http://air-sampai.jp/

■またまた『草枕』を読んでて、「蘆雪のかいた山姥」(第2章)なるものが気になったので調べてみたら出てきた。
http://image.blog.livedoor.jp/aire_desu/imgs/b/f/bf4242ed.jpg
「画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔」がこれだそうだが・・・、なにやらほんとに物凄い。

2010年1月13日水曜日

1/13

■昔、とても仲のよかったミュージシャンの友人が作った曲の歌詞で「パレードはつづく…」とかいうようなものがあったのを突然思い出した。
実験的で面白い曲だった。
なんでそんなのを思い出したのかといえば、ニュースでデニス・ホッパーが病気のため寿命が近い(デニス・ホッパー自身が言ったとか)なんてことが書いてあったからなのだ。
デニス・ホッパーってばすぐに思い出すのが何故だか「イージーライダー」でのパレードのシーン。
有名なラストシーンよりも、途中のパレードのシーンが強烈に頭に残っているのだ。
ところで、日本でパレードってのは何に当たるんだろうと考えたんだが…。
山車(だし)か?
あれは山車の歌だったのかな…(んなわきゃあない)。
昔のテープを引っ張り出してきてもう一度聴いてみようかな。
あの演奏で僕はパーカッションをたたいてたのだ。

■実家に行くと、どういうわけかいつも風邪をひいたり具合が悪くなったりする。
原因はたぶん実家に行くと気が抜けるからだと思うのだが、逆にいえば普段いつもそれだけ気を張って生活しているということだ。
なんでそんなに気を張って生活してるのかよく分からないわけなのだが、とりあえず物凄く氣を張ってるようだ。
にしても実家に行くと何故かくも安心しきってしまうのか。

2010年1月12日火曜日

気がつけば雪が降ってるではないか




■気がつけば雪が降ってるではないか。
うちに来たネコもあまりの寒さに丸くなって微動だにしない。

■阿佐ヶ谷の駅前の本屋に行くたびに「病牀六尺」を立ち読みしたてのだ。
今日もまた本屋でいろいろ本を見て歩いているうちにやっぱり「病牀六尺」を立ち読み。
いつも立ち読みするのなら買った方が良いのではないか、というわけで買って帰ってきたのであった。
ただでさえうちは本で溢れているというのにわざわざ本屋に行って立ち読みまでするってのは一種の病気だろうか。
それはそうと「病牀六尺」。
正岡子規は当時体の非常に具合が悪く、文章も短いものばかりなのだが、これがなんだかいいのだ。
僕も最近具合が良く無いせいか、この文章が妙に落ち着く。
まるでtwitterのつぶやきのようだ。
当時twitterがあったなら正岡子規はつぶやきまくってただろう…。

2010年1月11日月曜日

森で読む本120冊


■「森で読む本120冊」(麦小舎)という本が届いたので、日本橋に行く途中の電車の中で読む。
この本、いろんな人が森で読みたい本を3冊ずつ紹介するというもの。
先日ここで書いた「みんなの古本500冊 もっと」も似たような感じだった。
で、この「森で読む本120冊」がなかなか面白い。
何がどう面白いのかは面倒なので省略…。
やはりこういう本は面白いな。
自分だったらどんな3冊を選ぼうか…。
ちなみにこの本は北軽井沢のブックカフェ麦小舎というところが発行したもの。

■庭に来るスズメたちがみんな丸くて面白い。

■大手町の丸ビルを出てスタバに行く途中成人式の女子が着物姿で沢山いたけど皆あまり奇麗じゃなかった(着物が)。
それはそうと、丸ビル内で坂本龍馬の映画(テレビ?)のイベントか何かをやってて人が集まってたのだが、なんで坂本龍馬なんてのが人気あるのかが全く分からない。

■先日の「笑う犬2010」をビデオで見た。
なつかしい、と同時にナンちゃん面白すぎ。
期待してたパタヤビーチが短かったので残念だったけど、走れナロスとか葉っぱ隊とか舞台役者の出演交渉ネタとかのナンちゃんが凄すぎ。

2010年1月9日土曜日

ラジオ

■ニッポン放送の「滝良子のミュージックスカイホリデー」(毎週土曜18:00-21:30)が面白い。
昨年末にたまたま聞いて驚いたのだ。
今日も1時間だけ聞いてしまう。
まるで70年代にトリップしたかのような内容。
今どきこんな古くさいラジオは無い。
スゴイ!
僕が小学生のころはこんなラジオばかりだった。
話の内容がやや年寄り系だが、まあいい。
この「感触」、この「間」、この「雰囲気」!
古っ!
あまりのなつかしさに悶絶しそうになる。
最高。
ゴダイゴのガンダーラとか流れるし…(爆) 。

そういや小学6年のときに友達の家で遊んでて、ラジオの「電リク」(電話リクエスト)に電話してガンダーラをリクエストしたことがあったな…。

「ゴダイゴ/ガンダーラ」
http://www.youtube.com/watch?v=L2C_Mw8lSj8

■表参道のTea-Tuが無くなってガッカリしてたら、なんとアリヴェデパールも来月なくなるそうな
今日アリヴェデパールに行ったら張り紙に書いてあった。
ここ最近のアリヴェデパールの品揃えの路線はファンシーすぎてぜんぜんついていけないが 、それでもかつてのこの店を知ってる者にとってはガッカリ。
でガッカリしながら歩いてたら、よく行ってた青山の古書店まで消えていた…。
好きな店がつぎつぎに無くなっていく。

2010年1月8日金曜日

古本

■百年(@吉祥寺)で佃二葉という人の「生徒手帖」という小さな絵本(画集?)があって(古本)、表紙が気になったので手に取って見てみたらすっかり引き込まれてしまった。
よく見ればトムズボックスの本だった。
ISBNのついてない本でも素晴らしい本があるもんだ。
「みんなの古本500冊 もっと」(恵文社)だってISBNの無い本だし。
で、佃二葉「生徒手帖」を買ったのであった。
ちなみにこの本、検索しても出てこないのでかなり限定版らしい。
買っておいてよかった。

■今日はゴゴシマヤ(@西荻窪)で買った荒俣宏「ブックライフ自由自在」という本をスタバ(@吉祥寺)で読んでたんだけど、これはおもしろすぎ。
荒俣宏がここまで凄い古本コレクターだとは知らなかった。
本物の古本蒐集家のすさまじさを垣間見た気がする…。
この本のように、本に関する本というのは何故か面白い。
「みんなの古本500冊 もっと」(恵文社)も本の本だった。
昨年たまたま古本屋で発見した「山からお宝」(南陀楼綾繁 著)という本も本に関する本で、こちらは部屋の中が本の山になってしまった人達の文章と部屋の写真がたくさん載ってる(そういやこれもISBNが無い本だ)。
うちにも本の山脈があるけど、こういう人は意外に多いんだな…。

2010年1月4日月曜日

日本語大辞典

■実家に持っていった本3冊がどれもこれもつまらなかったのだ。
だもんで結局実家にある本を読むことになった。
ルソーの「告白録」、宮沢賢治の本、西洋美術の本、などなどをテキトーに読んでたのだが、中でも特に面白かったのは「日本語大辞典」。
全部で二千三百ページくらいあるデカい辞書(笑)。
全ページカラーで所々写真がついている。
これがなかなか面白い。
これは意外な新発見だった。

2010年1月1日金曜日

元旦

■元旦からスタバに行く。
空いてるかと思いきや意外に混んでる。
が、客層はいつもとちょっと違い、競馬新聞もってるキャップおじさん、家族連れ、お年寄り、等々も。
また、元旦だというのにスタバの店員も総出なのが何やら不思議。

■実家へ持って行く本を選ぶ。
どれを持っていこうか選んでる途中で思わずその本を読みはじめてしまい、どこでそれを読むのを止めようかとあせるうちに1時間以上経つ…。
まあ、実家へ帰っても結局それらを読まずに実家に置きっぱなしの阿呆な本を読んだりするんだけど。

■昨日、風邪に効くというエキナセア・ティーとかいうハーブティーを買った。
早速飲んでみたんだが、なんとも微妙な味。
なにかのにおいに似ているなあとずっと考えてたんだが、思い出した。
ウサギのエサ。