2012年12月31日月曜日

2012年の個人的ベスト10・ジャズ編


■ELLIOTT SHARP / Aggregat (clean feed)
clean feedのエリオット・シャープにハズレなし。今回もまた圧倒的な内容。
■CONRAD HERWIG QUINTET / A Voice Through The Door (Criss Cross)
音の感触から醸し出される雰囲気が凄くいい。メインストリーム系バップではこれかな。音風景がいいのだ。
■Henry Threadgill / Tomorrow Sunny/The Revelry, Spp (Pi Recordings)
ヘンリー・スレッギルの安定感…。
■Till Bronner / Till Bronner (verve)
まるで70年代CTIのような音のカラーリング。フュージョンではこれが圧勝。
■SAM RIVERS / Reunion: Live in NY (Pi Recordings)
サム・リバースの最晩年は60年代70年代をも凌ぐ程のインパクト。バリー・アルトシュルも凄い。
■FLY (Larry Grenadier, Mark Turner, Jeff Ballard) / Year Of The Snake (ECM)
■John Ellis / It's You I Like (Criss Cross)
■Avishai Cohen / Triveni Ⅱ(ANZIC RECORDS)
■Charles Gayle Trio / Streets (northern spy)
■Igor Lumpert Trio / Innertextures Live (clean feed)

2012年12月30日日曜日

12/30

2週間後の引っ越しに備えてとりあえず本の整理をしはじめて気がついた。これは完全にキチガイの部屋だ…。よく、ものが捨てられずにゴミ屋敷のようになってしまう人がいるけど、あれに限りなく近いことが判明。こんなところで自分の頭が完全におかしいことを自覚した。こりゃなんかのビョーキに違いない。

いらない本をダンボールにどんどん詰めていったんだが、5箱パンパンに詰め込んでもまだまだ部屋の中は何も変わらず…。なんだこれは。掘っても掘っても本が湧いて来る。一体どういう構造になっているのか?夢でも見てるのか?ざっと見た感じ本だけであとダンボール30箱くらいあるんじゃないのか?完全にヤバイ。おまけにCDも同じくらいあるわけで、もう全く収集がつかず。なんかもうすっかり嫌になったwww。全部捨てたくなってきたな。

なんでこんなに溜め込んでるのかよく分からないんだけど、どれもこれも必要だから持ってるわけで…、というか、ゴミ屋敷の住人はみんなそういうこと言うらしいなw。う〜む・・・。なんで生きるのにこんなにモノが必要なのか?

そういえば5年前の引っ越しのときも部屋じゅうに積んである本を捨てるのがかなり大変だった気がする…。あのときは部屋の半分くらいが本で埋まってて、それでも何の本がどこにあるのかをちゃんと把握していたのだ。…なんて自慢してる場合ではなく。わずか5年でまた同じこと繰り返してるんだから完全に頭悪い。

2012年12月25日火曜日

モンブランとか


不思議なもので、モンブランのケーキは安っぽいほどうまい。高級なものになればなるほどモンブランから遠ざかっていく。

今年もうちのツリーはネフの積み木。で、いまごろ気付いたんだけど今年はフィル・スペクターのクリスマスアルバムを聴き忘れてた。なんかあんまりクリスマス気分じゃないなと思ってたんだけど、これが原因だったか。

12/24

なんだかよく分からない本を一冊だけ持って、どこか行ったことのないような所にでも行きたい。そこで、なんだかよく分からない本をゆっくりと読んで、「なんだこれは」とか言ってみたいもんだ。

来月引っ越すことになった。部屋に溢れかえる本をどうしようかと迷ってるんだけど、半分くらい処分しようかな。いや、もっと処分しなければまた新しい部屋が本だらけになってしまうか。5年前に引越したときにも本を大量に捨てたんだけど、なんで本はこんなにも増えるのか。

2012年12月7日金曜日

タヌキ


さっきうちの前にタヌキが2匹いた。ずっとこっち見てた。


2012年12月2日日曜日

大手町

大手町の地下を歩いてたら、こびとが落ちてた。

2012年11月23日金曜日

クモ

クモが壁を歩いてたんだけど、ずいぶんノロノロとしている。なんだろうなあと思ってじっと見てたんだが、たんに寒いだけなのかもしれない。

2012年11月22日木曜日

いまごろ

いまごろピーマンとか収穫。これが今年ラストかも。というか、もうすぐ引越すことになるかもしれないので、ほんとにラストかもしれないなあ…。

2012年11月18日日曜日

自分だけしか見なかった光景とか



自分だけが知ってるようなことがある。自分だけしか見なかった光景とか、もう自分だけしか覚えていない昔の出来事だとか。そういうのは、自分が居なくなったら全部消えて無くなることとなる。

2012年11月10日土曜日

くじらぐも


スープストックでごはん食べてて、ふと窓のほうを見ると、「くじらぐも」が。



ちなみに、「くじらぐも」
http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/3833/kujiragumo.html

2012年11月3日土曜日

雑草




庭の雑草をつんできてそれっぽく飾ってみたものの、やっぱ雑草なだけにどこか地味だな…。葉っぱを全部取ればよかったのかな。

チョコベビー

チョコベビーうまい。チョコベビーのケースがなんか少し小さく感じたんだけど、これって子供の頃にチョコベビーを持った感触を手が覚えているからなのかな。今より小さい手でチョコベビーの感触を覚えてて、だから手が大きくなった今はチョコベビーが小さく感じるのかもしれないな。なんてことはどうでもいいんだけど、チョコベビー、いかにも安いチョコっていう味がして、うまい。

2012年11月1日木曜日

11/1

スタバは今日からクリスマス仕様のようだ。カップにサンタが書いてあった。

2012年10月31日水曜日

10/31

スタバもハロウィンだった。で、ハロウィンって何やればいいの?

2012年10月27日土曜日

三ツ矢サイダー

最近毎日三ツ矢サイダーを飲んでるんだけど、三ツ矢サイダーはスプライトよりうまいな。

三ツ矢サイダーの古いCM。かなり最強レベル。

NYに行きたい病


何故か毎年この時期になると「ニューヨークに行きたい病」にかかる。というわけでニューヨークに行きたい。

雑草



庭の雑草、花が咲いてる。なんか秋っぽい色だ。

それはそうと、秋の花粉とやらが飛んでるみたいで、最近鼻がムズムズする。

10/26


そんなわけで、13冊目。

2012年10月26日金曜日

10/25


古本屋に「カバトット」の単行本が売ってたので買おうかどうかさんざん迷ったあげく結局買わなかった。買っときゃよかった。

2012年10月23日火曜日

ピクシー絵本



ピクシー絵本をいくつか持ってるんだけど、70年代のオリジナル(小学館)は8冊だけしか持ってない。他はフェリシモの再発版。先日ひさびさにオリジナルのピクシー絵本を古本屋で発見したので一冊買った。ちなみに僕が小学生のとき気に入ってたのは「ビクターおじさん はしをかける」。

2012年10月17日水曜日

虫のこえ

虫の鳴き声だけ入ってるCDなんてのを持ってるくらいに虫の鳴き声は好きなんだけど、今の季節は裏の林からコオロギやバッタの鳴き声が聞こえてきて、なんかいい感じ。コオロギやバッタが何万年前からいるんだか知らないけど、何万年前の人もこの同じ鳴き声を聞いてたのかもしれない。ちなみに鳥の鳴き声も好きで、いろんな種類のCDを持っている。最近はyoutubeでそういうの聞けるから便利。

2012年10月12日金曜日

10/12


「嘔吐」という小説に『午後三時。三時というのは、つねになにをしようと思っても遅すぎる。あるいは早すぎる時刻だ』というくだりがあるけど、なんかよく分かる(笑)。四時になると、ややあきらめモードに入る。でも五時になると逆になにかしはじめる感じがある。

2012年10月4日木曜日

10/3



雨の日はだるい。

2012年10月1日月曜日

懐かしさ

ある音楽に懐かしさを感じたらその音楽の当事者では無くなってしまったということだ。でも当事者としての賞味期限は切れたものの、懐かしさとしての賞味期間は残っている。

中学とか高校時代に熱心に聴いてた音楽をひさびさに聴くとなんともいえない気分になるんだけど(笑)、懐かしい~と思ってしまったものはもう純粋に楽しめないなあと思ってしまった。その音楽が切実に必要だった頃には音空間の隅々までよく聴けたものだけど、懐かしさを感じると何かすこし離れた所からその音楽をみてるというか、距離が出来る感じがして、純粋にその音楽自体を楽しめない。

つまりそれがその音楽そのものの自分にとっての賞味期限だと思うのだ。

その音楽はその後「懐かしい」という視点から聴くことになるわけだけど、それはそれで新しい聴き方だろう。でも、感覚としては音楽そのものを楽しむというよりも「懐かしさ」を楽しむ感じになっていることに気づいた。懐かしく感じる音楽を聴くということは、その懐かしさの方を楽しむことになってるのだ。

ところで、懐かしさというのは「好き・嫌い」を凌駕することにも気づいた。昔たいして好きでもなかった音楽を聴いて懐かしさを感じたときに、何故だかその音楽がアリになることがある。中学時代にさんざん馬鹿にしくさってたジャーニーもスティックスもフォリナーもエアサプライもビリー・ジョエルも、みんな「懐かしさ」からアリになった。まあ、要するに音楽そのものではなく、その音楽から喚起される懐かしさ(気分とか情景とか)に反応してるんだろう。どういうわけか懐かしさは許しに繋がる。

その音楽の当事者であったときの聴き方と、懐かしさを感じるようになってからの聴き方とは、明らかに全く違う聴き方だ。どちらがどうというわけでもないが(比較するようなことでもないが)、昔嫌だった音楽が聴けるようになったのはそれはそれでいいことなのかもしれない。ラジオからたまたま流れてきた「ガラスのニューヨーク(you may be right)」を聴いて「これ結構いいかもなあ」なんて思ってる自分を、中学生のときの自分が見たらひっくり返ってるだろうな・・・。

10/1

真夏は不作だったのに今になっていろいろ出来てる。といっても生き残ったのが3種類しかないので同じようなものばかりだけど。他の種類のはみんな暑さにやられて早々と枯れてしまった。

2012年9月14日金曜日

カン

この前買ったお菓子のカンがいい感じ。スニフがいないのがちょっと残念だが…。

そういえば、先日スニフの本を買った。"Sniff's Book of Thoughts"って本。
http://www.amazon.co.jp/Sniffs-Book-Thoughts-Jansson-Malila/dp/1906838232
スニフに焦点を当ててくれるのが嬉しい。

「草枕」と治療

漱石は自分の神経衰弱の治療のために「吾輩は猫である」を書いたわけだが、「草枕」は主人公が治療のために旅をする話であるともいえる。

『ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。』(第1章)

ここでいう”こう云う感興”とは『わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯る』ことであり、『俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる』ことだ。その感興が薬になるという。

主人公は一体何の病であるのかは不明だが、山登りするほどに体は健康そうだし、主人公が気にかけることが他者との関係性に於けるいざこざに関わることばかりなので、やはり神経衰弱のような病気だろうと推測出来る。つまり、この主人公は漱石自身なのだろう。「吾輩は猫である」と同様、「草枕」もまた治療の書であり、「吾輩は猫である」の方はそれを書くこと自体が治療であったのに対し、「草枕」は内容自体が治療の過程の物語となっている。なので、「草枕」の方は現実の漱石にとってはただの空想であり、理想にすぎない。まさに「桃源」。ちなみにこの物語の舞台となっている那古井とは、熊本の小天のことで、「草枕」は漱石が実際に小天に行ったときのことを元に書かれた物語と言われている。(第7章の冒頭に『もとより別段の持病もない』とあるが、温泉での話であることから、これは体の方だろう。ちなみに漱石が胃潰瘍で入院するのはだいぶ後)

『すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。』(第1章)
わざわざ”非人情の天地に逍遥したい”という願望があるということは、人情に関わるいざこざで神経を病んでしまったのだろう。
『苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。』(第1章)
と、自身の情にも飽き飽きしている。

ところで、第4章に白隠和尚の「遠羅天釜(遠良天釜)」が出てくる。この「遠羅天釜」は、白隠が自分の病気(禅病)を治すために用いた方法論(軟酥の法や内観の法などを白幽子という長老に授けられる話)などが書かれた「夜船閑話」とともに、養生の書。わざわざ物語の小道具として「遠羅天釜」を持ってくるあたり、「草枕」の漱石にとっての意味合いを暗に示しているようにもみえる。「草枕」は漱石版「遠羅天釜」、あるいは漱石版「夜船閑話」という側面もありそうだ。

さて、神経衰弱というものが現在のどの病気のことを指すのか定かではないが、人情のいざこざから来るということは、神経過敏から来る何かだろうか。詳しくは分からないけど、その人情なるものを問題としない技として、「非人情」というものをひねりだしていく。つまり、非人情とは治療の為の技術であり、知恵であった。

その非人情によって治癒したのかどうかは書かれていないが、ラストにあれだけ無神経なことが言えるのだから、神経の病は癒えたのかもしれない。

2012年9月13日木曜日

9/13


なんか今ごろになってまたいろいろ出来てきた。イチジクまで出来た。

草枕

漱石の「草枕」は何度読んでも面白い。そして掘り下げようと思えば無限に深く掘り下げられるように見えるほど底が見えない。というわけで、また「草枕」を読んでふと思ったことなど。いつも第1章に関することばかり書いてる気がするので、珍しく第6章について、なんとなく書いてみた。


『余が心はただ春と共に動いていると云いたい。(…)余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然として名状しがたい楽(たのしみ)がある。』(「草枕」第6章)

漱石の「草枕」の第6章の前半部分は同化に関する内容になっている。同化とはつまり、自分が何かと一体化してしまうことをいう。

まずは、モノとの同化について語り(『彼らの楽は物に着するのではない。同化してその物になるのである』)、その後、『一物に化するのみが詩人の感興とは云わぬ』ということで、現象などの抽象的な感覚と同化する話となる。そして、「動き」そのものと同化し、それを「春」と同化したと表現することになる。具体的なモノとの同化から、抽象的な現象との同化へと、深めていく。そして主人公が体験したのはこの抽象的なものとの同化だ。

『われはいかなる事物に同化したとも云えぬ』とあるように、ここではモノとの同化ではなく、『何と同化したか不分明である』ほどに「春」と同化している。『余が心はただ春と共に動いている』とは、時間の流れである季節そのものと一体化(同化)した状態だろう。

ところで、なにものかと同化するということは、それまで世界内に"独立"して存在していた自己が消えるということに他ならない。ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」にこんなくだりがある。
『主体は世界に属さない。それは世界の限界である』(5.632)
『世界と生とはひとつである』(5.621)
『私は私の世界である』(5.63)
『思考し表象する主体は存在しない』(5.631)
これらはウィトゲンシュタインの独我論をよく表す部分だが、要するに主体が世界と同化しているのだ。ウィトゲンシュタインの独我論に於いては、世界の中に主体があるわけではなく、世界そのものが主体となっている。主体と世界が溶け合い、独立した主体は消え、主体は世界そのものとなる。(言うまでもないが、このウィトゲンシュタインの場合の同化は、モノや事態などとの同化の話ではない)

さて、「草枕」での同化とは主体がなにものか(モノとか現象とか)と一体化すること。一方ウィトゲンシュタインの独我論もなにものか(この場合は世界そのもの)と一体化すること。そして、ウィトゲンシュタインの独我論では、主体が消え(世界の中の主体、世界に所属する主体、という観点が消え)、主体=世界となる。ところで、「草枕」では「主体(自己)=なにものか」となる。ということは、こちらも主体が消えることになる。自己がなにものかと同化するとは、それまで独立して存在していた自己が消えることだ。主体が消えるということに於いてこの「草枕」の同化もまたウィトゲンシュタインの独我論と共通する。(とはいえ、「草枕」の方の同化はウィトゲンシュタインの独我論のように「なにものか」が自己の限界を定めるということはなく、それと並列して存在する自己の視点も存在するようだ。つまり「自己」⊃「なにものか」という形)

「草枕」の『余が心はただ春と共に動いている』という境地は、このウィトゲンシュタインの独我論で捉える「自分=世界」と同じような感覚を、文学的に「示す」形で表現したものともいえるのではないか。

たとえば、自己が消えた境地がこのように表現されている。
『余は明かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがない』
「何者をも見てはおらぬ」とは、何者かを見る主体が消滅していることに他ならない。何者かそのものになっているのだ。

また、
『あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹に練り上げて、それを蓬莱の霊液に溶いて、桃源の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間に毛孔から染み込んで、心が知覚せぬうちに飽和されてしまったと云いたい。』
「飽和されてしまった」とは、まさに春と同化してしまった境地を表している。ここではもはや世界から独立した「自分」(自己)なるものは消え、主体が世界そのものと化している。

ところが、主人公は自己が消えたこの同化の状態を絵にしようとして試行錯誤しているときに、このようなことを考える。
『色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。』
と、どこまでも「自分」の存在にこだわる。作品内に自己を認識しようにも、自己が消えている境涯を表すのだから、難儀するのは当然なのだ。絵だけではなく、音楽を思い浮かべたり、詩にしてみたりと、いろいろと試してはみるが、結局は『自分が今しがた入った神境を写したものとすると、索然として物足りない』と不発に終わる。芸術がそもそも「自分」の表現なので、「自分」が消える境地は表現不可であったのかもしれない。あるいは、禅の書など(書に関しては「草枕」第3章で触れられている)のように自我の消え去った表現を試みようとして失敗しただけなのかもしれない。いづれにせよ、主人公は『何と同化したか不分明である』ほどに『抽象的な興趣』を芸術で表現出来ず仕舞い。「草枕」はだいたいこのようなトホホなパターンが繰り返される。「草枕」の微妙な面白さはいつもこんなところにある。「吾輩は猫である」からの、いや「自転車日記」からの漱石のお家芸。

2012年9月8日土曜日

ジャズ

思いついたことをつぎつぎにメモっていくのがビバップ。
メモをもとに起承転結をつけるのがハードバップ。
起承転結つけられたメモを編集していくのがフュージョン。
文字でメモする代わりに絵を描いてしまうのがフリージャズ。
メモすることがないので踊ってしまうのがアシッド・ジャズ。
パソコンやスマートフォンでメモるのがフューチャージャズ(Nu-Jazz)。

2012年8月28日火曜日

8/28

庭でスズメがいつも砂浴びをしてて、そこのところがまるでアリジゴクみたいにボコボコと穴があいてたりする。で、今日の朝そこを見たら何故か小さいビーダマが…。なんだこれは?(笑)砂浴びしてたら土の中から出て来たのかな?

2012年8月15日水曜日

8/15


部屋じゅうが本とCDで埋まってて足の踏み場に困るわけだが、うっかり踏んづけてしまうこともよくある。さっきもまた大事なCDを踏んでしまいケースが割れてしまった…。というかこれ、部屋の中でずっと行方不明になってたCDではないか。踏んづけた無念さより見つかった喜びの方が大きい。

2012年8月13日月曜日

いろいろ



ことしも庭でいろいろ出来たんだけど、どうも土が痩せてきてる感じが…。肥料とかぜんぜんあげてなかったな。

2012年7月28日土曜日

あつい




暑い。夜中にうなされて「うわーー!」と声を出し、その自分の寝言で目が覚めた。3時半頃。

2012年7月27日金曜日

サンダルが…

庭のサンダルが片方だけ庭の真ん中に置かれてるってことがここのところ何日か続いた。カラスか猫のしわざだと思ってたんだが、タヌキかもしれない。ネットで調べてみたらそういう例がいくつかあった。にしてもなんでいつもサンダルの片方だけなのか。というか庭の真ん中に何かあるのか?掘ってみようかな。

7/27



もうずっと前から、なんだかルールの分からないゲームの中に投げ込まれた感じなのだ。だからルールブックが欲しいんだが、どこにもない。しょうがないのでゲームをよく見てルールを探ろうとするんだが、何故かルールは細かい周期で変化する。半年ごとか、いや3ヶ月か、1ヶ月か…。これじゃ余計にルールが分からないので、根本に流れる原理の方を探ろうかと考えた。原理を押さえておけば応用もきくだろうと思って。ところがやっぱりこれがルールとはまるで関係が無い。関係が無いどころかむしろルールに反することの方が多かったりする。で、やっぱり僕はルールがよく分からない。であるならば、ゲームに参加しなければいいのだが、宇宙に外側が無いようにこのゲームにも外側が無い。なので強制参加。僕がいつも異邦人感覚なのはつまりそういうこと。誰でもこういう感覚はあるのかな。

2012年6月29日金曜日

タネ?


チューリップの実を放っておいたら乾燥して、中にタネみたいなのが入ってる!なんだこれは!?(笑)不思議すぎる。チューリップって球根じゃなかったっけか?ちょっとオブジェみたいになってるし…。

2012年6月12日火曜日

なんだこれは


なんだろうなあこれは…。庭のチューリップが咲いた後に花の部分が実になってるのだ…。初めて見たんだが。チューリップの実なんてあるのか?

2012年6月5日火曜日

サヤエンドウ


サヤエンドウがいつの間にか出来てる!
がしかし、虫食い!!

2012年6月1日金曜日

6/1

僕はいつでもどこでも指の関節をボキボキと鳴らすことができる。普通は一度ポキっと鳴らすとしばらくは音が出ないもんだが、何故か指は何度でも音が出る(足の指も同じ)。音が出るからといってなんかエライわけでも得するわけでもないのだが、とりあえず特技がこれくらいしか無いのでここに自慢しておきたい。

そういえば新必殺仕置人の「念仏の鉄」は仕置をする前に指をボキボキと鳴らしてたけど、新必殺仕置人とか今じゃ放送倫理とかに引っかかっちゃって放送出来ないんじゃないかな。殺し方も死に方も残酷で、特に最終回の念仏の鉄なんかワイルドすぎて全部やばい。

ワイルドといえば、うちから駅に行く途中に靴屋があって、そこの店主がすぎちゃんそっくりで、そっち系のワイルドなんだが、昨日その前を通りかかったらBGMにベイシティ・ローラーズのサタデーナイトが流れてたw。30年以上前のアメリカのアイドルの曲がこんな場末の靴屋で流れてるってことがなんか面白いなあと思ったのだ。AKBの曲も30年後にどこかの商店街で流れたりすんのだろうか。 中学1年生の頃にテレビで見たベイシティローラーズの動画(今でもベータマックスで実家に残ってるんだが)がyoutubeにあった。かっこ悪すぎてカッコイイ。
http://www.youtube.com/watch?v=gHDCJVoObGE

今このベイシティ・ローラーズを見ると、この顔のどこがアイドルなんだよっっっ!と誰もがつっこむだろうが(特にレスリー・マッコーエン)、そもそも流行とはそういうもんだ。30年後に指原のデビュー曲PVを見た人は、いろいろとつっこむのではないか。いや、これは今でもつっこまれてるか。 時代を30年くらい先取りしてるのではないか。

ちなみにこの靴屋は線路沿いの廃れたショッピングモールの中にある。このショッピングモールのBGMはいつも最高で、だいたい70年代〜80年代の古くさい洋楽とイージーリスニング(たまにフュージョン)が流れている。気分がギスギスしてるときなんかは、このBGMのおかげですっかりおさまる。かなり貴重な場所。

2012年5月21日月曜日

金環日蝕

黒い月が見えた。逆光で見る月というのはたしかに珍しいかもしれない。みんな太陽を見てる気でいるようだが、ありゃ月の動きを見てるんだよ。

朝7時半に起きて庭に出てみるとカラスが騒いでたんだけど、だいたいここのカラスはいつも騒いでるので、日蝕で薄暗くなったから騒いでるのかなんなのかよく分からない。まぎらわしいな。

2012年5月20日日曜日

続・クモ

自転車置き場に自転車を入れようとしら、ブワッと顔にくっつくモノがある。何かと思えばクモの巣…。こんな所にクモの巣なんか張るんじゃねえぇぇ!プンスカ!とか思ったが、突然マイホームを破壊されてしまったクモの方はさらに怒り心頭かもしれぬ。それはそうと最近うちの中にクモがやたらと多くて、毎日どこかで見かけるのだ。トイレの天井付近に小さい穴が空いてて、いつもそこから小さなアリが頻繁に出て来て壁づたいにノコノコと歩いてるんだが、トイレの中にはクモも住んでおり、そのクモはいつもアリを狙っている。おかげでアリが大発生しなくて済んでるんだけど、クモが大発生するのもいかがなもんかと。ちなみにうちのトイレは汚いわけではない(ごく普通に奇麗)。隅のほうでアリとクモも住んでいるというだけだ。そういえば庭にもクモが居て、土の中にツチグモってのがいる。土を掘るとたまに出て来る不思議なクモで、なんでわざわざ土の中にいるのか分からないんだけど、なんか土の中がいいらしい。庭といえば、死ぬ程たくさん咲いてたニラの花がすっかり無くなり、草が一気に伸びてきて、草だらけになってしまった。そろそろ草取りしないとえらいことになる。

2012年5月14日月曜日

クモ

部屋にクモがいてウロウロしている。クモの姿のデザインは完璧だとか思いながらじっと見てたら、小バエが飛んできてクモの近くにまで行った。するとクモがピョンと飛び跳ねて小バエをつかまえた。そしてそのハエを抱えたまま暗闇の方へとノコノコと歩いて消えていったのであった…。クモってのはてっきり巣を張ってずっと獲物が来るまで待ってるもんだとばかり思ってたが、甘かった。最近はクモの世界も不景気なのか、待ってるだけでは食っていけないらしい。

2012年5月6日日曜日

5/6

庭にはタンポポなんかも咲いてて、そのうち写真に撮ろうなんて思ってボ〜っとしてると、ある日突然タンポポが真っ白になってたりする。これ、前々から不思議でしょうがないんだけどなんで突然真っ白になるの?途中が抜けてるんじゃないのか。じいさんだって全部白髪になる前にロマンスグレーという途中の時期があるってのに、なんでタンポポはある日突然真っ白になるのだ?

2012年5月2日水曜日

雨が降るというので

雨が降るというので玄関先に置いてある花の鉢植え(↑)を濡れない場所に移動させる。で、鉢植えを持ち上げるとその下にタンゴムシの軍団がいて、皆「ん?」って感じでちょっとキョロキョロしてから、わらわらと散らばっていった…。 ところでダンゴムシってのは敵に遭遇すると丸くなるだけなんだが、あれってなんか効果あるんだろうか。のそのそと逃げるより転がった方が早いってことかな。いきなり丸くなるってのは他人に対して心を閉じてるみたいでなんか面白い。

そういえば最近のインド映画で人間型ロボットが丸くなって転がって攻撃していくってのがあった(1:10あたりから→ http://www.youtube.com/watch?v=mY_0NA4AP-o)。

2012年4月30日月曜日

ガーベラ


花屋で野菜の苗が売ってたのでいくつか買ったらガーベラをくれた。これがなんだかビミョーに不気味。「小学館の図鑑NEO・植物」(小学館)によれば、ガーベラの原産地は南アフリカなんだそうだが、この原産地ってのはなんか国籍みたいで妙な感じ。アフリカ人っていわれりゃそんな気もするけど。

2012年4月26日木曜日

形が



今日は雨が降っててたまたま花が閉じてたからこんな形になってるようだが、このチューリップは形が面白い。なんか、中に和菓子でも入っているかのような雰囲気が…。チューリップなのに和菓子ってのも変だけど。

フィンランドの作家トーベ・ヤンソンのデビュー作「小さなトロールと大きな洪水」(1945年)に、チューリップの中に住んでるチューリッパという青い髪の女の人が出て来るが、なんだかそんな人が入ってそうな感じもする。いや、べつに小さいおじさんとかが入っててもいいんだけど。

2012年4月25日水曜日

色が




白かったチューリップが何故か今日突然ピンクになってた。なんだこりゃw。

写真を撮ろうとしたらチューリップの中にハチがいた。うちにある岩波文庫のファーブル・昆虫記(第五冊分)には「はち、いろいろ」と副題がついてて、ハチに関する話ばかりなのだが、何故だか特殊なハチの話ばかりでたいして面白くない。昆虫マニアにとっては普通のミツバチなど興味無いのかもしれないが僕は普通のミツバチの方が好きだ。