2012年10月1日月曜日

懐かしさ

ある音楽に懐かしさを感じたらその音楽の当事者では無くなってしまったということだ。でも当事者としての賞味期限は切れたものの、懐かしさとしての賞味期間は残っている。

中学とか高校時代に熱心に聴いてた音楽をひさびさに聴くとなんともいえない気分になるんだけど(笑)、懐かしい~と思ってしまったものはもう純粋に楽しめないなあと思ってしまった。その音楽が切実に必要だった頃には音空間の隅々までよく聴けたものだけど、懐かしさを感じると何かすこし離れた所からその音楽をみてるというか、距離が出来る感じがして、純粋にその音楽自体を楽しめない。

つまりそれがその音楽そのものの自分にとっての賞味期限だと思うのだ。

その音楽はその後「懐かしい」という視点から聴くことになるわけだけど、それはそれで新しい聴き方だろう。でも、感覚としては音楽そのものを楽しむというよりも「懐かしさ」を楽しむ感じになっていることに気づいた。懐かしく感じる音楽を聴くということは、その懐かしさの方を楽しむことになってるのだ。

ところで、懐かしさというのは「好き・嫌い」を凌駕することにも気づいた。昔たいして好きでもなかった音楽を聴いて懐かしさを感じたときに、何故だかその音楽がアリになることがある。中学時代にさんざん馬鹿にしくさってたジャーニーもスティックスもフォリナーもエアサプライもビリー・ジョエルも、みんな「懐かしさ」からアリになった。まあ、要するに音楽そのものではなく、その音楽から喚起される懐かしさ(気分とか情景とか)に反応してるんだろう。どういうわけか懐かしさは許しに繋がる。

その音楽の当事者であったときの聴き方と、懐かしさを感じるようになってからの聴き方とは、明らかに全く違う聴き方だ。どちらがどうというわけでもないが(比較するようなことでもないが)、昔嫌だった音楽が聴けるようになったのはそれはそれでいいことなのかもしれない。ラジオからたまたま流れてきた「ガラスのニューヨーク(you may be right)」を聴いて「これ結構いいかもなあ」なんて思ってる自分を、中学生のときの自分が見たらひっくり返ってるだろうな・・・。