2011年2月23日水曜日

コロコロ

えーと。先月号からコロコロコミックを読んでるわけだが…(笑)。ギャグ系で結構面白い漫画がいくつかある。ゲームや玩具とのタイアップ漫画ばかりでちょっと驚くが、まあそういうもんだと割り切ってしまえば、まあそういうもんだと思えなくもない。というか、まあそういうもんだと思わなきゃ読めない。大人の事情はいつでもくだらないのだ。また、投稿コーナーが妙に面白い。小学4年生の破壊力は最強。

僕が小学4年生のときにコロコロコミックが創刊になったんだけど、これがまず「モノ」として当時の自分の手にピッタリとフィットした。あのときの感触はハッキリ覚えている。それまでは週刊少年チャンピオンなどの大きさのマンガ雑誌しか無かったのに、突然あの小型で分厚いなんともいい感じの大きさの雑誌の登場は、ちょっと盛り上がったね、ほんとに。あれは「小ささ」が決め手だった。

当時絵本でも「小ささ」が決め手のものがあって、ピクシー絵本という10センチ×10センチの小さな絵本がたくさん売っていた。デンマークの絵本の翻訳本で、値段は60円。全部で100種類くらいあったんじゃないか。あの小さな絵本は手に取ったときの感触がこれまた良くて、特別に価値のあるものに見えた。10センチ四方なのでどこへでも持ち歩くことだって出来るのだ。ちなみに僕のピクシー絵本のお気に入りは「ビクターおじさん、はしをかける」というものだった。現在の絵本はデカイものが多い気がするが、僕は今でも小さい絵本に、ただ小さいというだけで、無条件に惹かれる。

それはそうとコロコロコミック。買うときがちょっと恥ずかしい。あえて裏向きにしてササッと素早くレジに出したんだが、レジのオッサンの動作がのろくてあせった。いつもは手際がいいのになんでこういうときに限ってのろいのか。にしてもコロコロ読んでるなんてことは誰にも言えんな…。黙っておくことにしよう…。

2011年2月22日火曜日

小さい系


小学生のとき切手を集めてたせいか、今でも切手が売ってたりするといちいちチェックしたくなるのだ。先日、三鷹で山田文具店(http://yamadastationery.jp/)という店を発見。レトロな文房具なんかがいろいろと揃ってるのだが、切手も売っていた。やっぱりテンション上がるわけで、どんな切手があるのか自然とチェックしてたのであった。僕が絵画とかを見る習慣みたいなものがついたきっかけは切手だったかもしれない。小学生のときしか集めてなかったけど、とにかく飽きずに何度も切手ばかりよく見てたし、切手カタログは当時の愛読書だった。

ところで今でもたまに切手を買ったりすることがある。別に朝から郵便局に並んで記念切手を買うとかそういう気合いの入った買い方じゃなくて、雑貨屋みたいなとこで売ってるデザインの面白い古いヨーロッパの切手とか。なんだかついうっかり買ってしまうのだ。で、うちに持って帰ってきたとたん、うちの中で行方不明になったりする…。やはり切手はストックブックに整理しておくべきかもしれない。

手紙なんか全く出さなくなった今では、切手なんてのは「小さい絵」でしかない。しかしその小さい絵がどういうわけだか妙に魅力があったりするから困ったもので(別に困らないか)、とにかく深い世界なのだ。きっと小さいってところもポイントなんだろう。

2011年2月21日月曜日

落ちてた系

今日の朝、玄関を出てすぐの所にメガネのレンズが片方だけ落ちてたんだが。なんだろうなこれは…。普通に歩いててメガネのレンズが落ちるか?しかも片方だけ。おまけに落ちたのに気づかずにそのまま行っちゃうとか。一体どういうシチュエーションなんだろ。

落ちてたといえば、昔ネギが道に落ちてたことがあった。普通の長ネギ。ネギがまるごと落ちてて、なんだろうなと思ってそのまま歩いてたら、またネギが落ちてた。そんで前方をよく見るとネギがずーっと先の方まで点々と落ちてるではないか。何かの道しるべだったのか?というかなんでネギ!?

子供の頃は道に落ちてるガラクタのようなものが何故だか宝物のように見えて、拾っては大事に持ってたりしたもんだ。つるつるで綺麗な石や、ロウセキのように書ける石なんかも大事に持ってた。何だか分からない金属片とか、ビーズのデカイやつとか、壊れたボンナイフとか、古い磁石とか、そんなものを拾っては引き出しに入れて大事にしてたり。が、ありゃ何だったんだろうか。今じゃ道に落ちてるものなんて見向きもしない。せいぜいメガネのレンズとか長ネギとかパンツとか(ほんとに落ちてたことがあった)、そんなもんじゃない限りいちいち落ちてるものに注意なんぞ向けないわけで。

ところで、自分が落としてしまったものの中で今でも「ああ・・・」と思うのがいくつかあって、たとえば新宿末広亭の古い手ぬぐい。かなりお気に入りだったのに5年くらい前に目白あたりで落としてしまい無くなってしまった。あと、フクロウの小さいバッジ。これは非常によく出来たバッジだったんだが、カバンにつけてていつの間にか無くなってた。これは十数年前。しかし中でもダントツで残念だったのは、ファーバーカステルの100円シャーペンの赤いやつ。これはほんとに書きやすくてしかもデザインも色も綺麗なものだったのだが、どこかに落として無くしてしまった。んなもん100円なんだから買いなおせばいいではないかと思われるかもしれないが、そのシャーペンは限定品だったらしく、その後店で売ってるのを見たことが無い。ネットでも全く見ない。数年前に色違いの水色のものが出たのだが(もちろん買っておいた)、赤の方がぜんぜん美しかった。

2011年2月18日金曜日

「巴里アルバム」と「巴里の藝術家たち」

福島慶子著「巴里アルバム」(三笠文庫)という昭和26年発行の本を持ってるのだが、これと同じ三笠文庫の福島慶子著「巴里の藝術家たち」という本が近所の古本屋にあったので昨日購入した。こちらは昭和27年発行。しかも恐いくらいに状態が奇麗。ちなみにどちらも絶版な上、超レア。特に「巴里アルバム」の方なんぞググってみるといきなり当ブログの記事が出て来る始末。ほとんど世の中から忘れられた存在。かなり面白い本なのに、もったいない。でも誰も持ってないような古いレア本を密かに読むというのも何だか楽しいかもしれない。誰も読まない本をこっそり読むってところに妙な快感が…。というかそんなことばっかりやってるから誰とも話が合わなくなるんだよなほんとに。ああ、そういえば最近「吐き気」(メニングハウス著)って本を読んでます。

2011年2月16日水曜日

閑話

昨日も今日もスタバでブローティガンの「西瓜糖の日々」を読みながらジョン・ケージのRyoanjiという曲を聴く。いや聴きながら読む、かな?どっちでもいいんだが、Ryoanji(龍安寺)って曲は演奏者によって全く違うものになるんだけど自分のお気に入りは「JOHN CAGE:Music For Trombone」(James Fulkerson)というアルバムに入っているもの。これは名演なんてレベルではなく、国宝級の超絶名演。なんて話は誰も興味無いのでスルー。ところがこれをスルーされてしまうと他に話題が無いのだ。ああ、そういえば、12冊目となる絵本が出た。これまた誰も興味無いのでスルー。

最近はmixiに日記とか書かなくなってしまった。書いてももはやなんの反応も無いし、だんだんと遠ざかってしまった。あの初期mixiの熱気は何だったんだろ(笑)。ほんの一瞬だけ、いろんな人が繋がった。がしかしその繋がりが鬱陶しいことに皆が気づいた。「mixi疲れ」なんて言葉まで出てきたことあったなそういえば。mixiはあっという間に老人になってしまったという感じだ。今は余生といったところか。まあ今さらmixiなんぞ誰も興味無いのでこれまたスルー。

2011年2月14日月曜日

ノート

昨日、日本橋の丸善でツバメノートを買った。いつもは無印良品の無地ノートかジャポニカ学習帳の「じゆうちょう」を使うんだけど丸善にはどちらも置いてない。というわけでツバメノート。このノートのデザインはなかなかシブイ。実はさっき知ったことなんだがツバメノートってのは意外に品質もいいらしい。(コンランも認めたツバメノートの魅力http://allabout.co.jp/gm/gc/197188/
で、このノートで何するかってば、単に落書きするだけなんだが・・・。

ところでジャポニカ学習帳というのは「こくご」「さんすう」「れんらくちょう」など、用途に応じたノートがそれぞれ出ているんだけど、何故か「ノート」というノートがある。
http://showa843.rsjp.net/product/japonica/catalogue/jb-1/
ノート・・・。わざわざノートと言われなくてもノートであることくらい分かるだろうと思うのだが、あえてこれがノートであることを主張しなければならないその理由は一体なんなのか?きっと何かあるんだろう。そっとしといてあげよう。

さて、僕が学生時代によく使ってたのがキャンパスノート。
http://www.kokuyo.co.jp/press/2005/01/325.html
特に初代と2代目(画像、上の段の左のふたつ)!これは懐かしい。このふたつはあまりに懐かしくて嫌〜な気分さえ沸き起こってきたりして。塾で先生にぶっ飛ばされた記憶とかよみがえってくるよ・・。

2011年2月10日木曜日

エサ

朝いつもスズメに米粒をあげてるわけなんだが、今日も庭のエサ台に米粒をおいて部屋に入り、ふと庭を見ると、スズメたちはとなりの家の屋根から集団で庭の方をじーっと見ている。なんだろう?と思ってエサ台を見ると、なんとカラスが米粒を食べてるではないか。
工工エエェェ(´Д`;)ェェエエ工工 !!
カラスともあろう者がなんでわざわざ小さい米粒食べるのか。どこかでコンビニ弁当の残りとか立派なゴハンがありそうなもんだが、何故に米粒!?スズメがあんまり不憫なので、カラスが米粒を食べ終わったあとにまたスズメ用に米粒をあげたのであった…。

2011年2月9日水曜日

本のはなし

どうも知能が足りないせいか、気に入った本は何度も何度も繰りかえし読むのだ。理由はよく分からないけど何度も読む。何度も読みたくなる。

で、それほどまでに気に入る本と出会う確率ってのがこれまた異常なほど低い。僕はハンパなく本を買いまくる方なんだが、それでもなかなか当たりが出ない。どんなにいい本であっても、タイミング次第で駄本にカウントされてしまうので、なかなか難しいのだ。

繰り返し読む本とはちょっと違うが、最初のところだけ何度も読んでるのに最後まで読んでないというものが沢山ある。最初だけ面白そうな雰囲気なのに途中から飽きるってやつ。つまらない本は最後まで読む必要なんてないので途中でやめるわけなんだが、途中まではたしかに面白いのだ。こういう本、結構多い。

気に入った本を何度も読むってことでは、小学生のときなんかはずっとそんな読み方だった気がする。切手カタログ本が好きで相当ボロボロになるまで毎日のように見てた。また気に入ったマンガは死ぬほど何度も読んでたし、模写もした。おまけに好きなページを切り抜いて透明下敷きに挟んでた。ああそういえば中学のときもそうだったわ。なんとなく思い出した。とある本(3冊)をしつこく何度も読んでた。馬鹿だったのかな。そういや高校のときもそうだったな。何度も読みすぎて汚くなってた。やっぱり馬鹿だったのか?考えてみれば僕はずっとそういう読み方をしてたようだ(で、そういう本が必ずしも「名作」と言われる本でもないってのが不思議なところ)。今でもそういう読み方をしてる。本の内容は「情報」なんかじゃないんだ。

2011年2月3日木曜日

裏の林

なんだかよく分からないけどうちの裏の林の木がどんどん切られていって、ついに半分以下に。すっかりスカスカ。何か出来るんだろうかと恐れているんだけど特に何も連絡は無し。林がスカスカになったせいでそのうしろにある高層団地(公団)が丸見えで、なんか沢山の人に見られてるような気がしないでもない…。木がこれだけ無くなれば少しは蚊や毛虫が減るかな。いやそんなこと言ってる場合ではなく、沢山あった樹木が一気に無くなるのはなんだか嫌なもんだ。僕の実家の近くには昔は森や林がいっぱいあったんだけど、今ではほとんど残っていない。みんな住宅地みたいになってしまった。おかげで今や実家の周辺はどこがどこやらサッパリ分からない。昔の記憶を頼りにうろうろしてみても、あまりの変貌ぶりに迷子になったりする。それはそうと問題は裏の林。もはや林ではなく並木になりつつあるわけだが…。ここに住んでたタヌキ(たまに見かけるのだ)とか、そうとう迷惑だろうな。どこかに引越していったかもしれない。