2010年8月29日日曜日

自由が丘

自由が丘のスタバで「小出楢重随筆集」(岩波文庫)を読んでたのだ。
大正13年から昭和5年にかけての文章。
この小出楢重の文章がやたらと面白い。
どこか阿呆らしい抜け方をしてて、なんだか親しみやすい。
僕の普段慣れ親しんでいる北杜夫のエッセイにもなんとなく近い。
スタバで読んでて噴き出しそうになった。
ラストの「油絵新技法」では今からみるとかなり頓珍漢なことが書かれているけど昭和初期の貴重な資料だとでも思えばそれはそれで面白い(が、やはりこの部分は無い方がいい)。

ところでスタバのアイス・キャラメルマキアートは、ショートサイズよりもトールサイズの方がおいしい。
なんでだろう。
コーヒーとミルクの分量の問題か?
それとも気のせいか?

自由が丘のIDEE SHOPは特にお気に入りの場所。
中でも3Fの空間は最高。
置いてある本とかも何故かどれも魅力的に思えてしまう。
僕はいつもインテリア・ショップに行くと、デスクなどの上に小物として置いてある本がどうしても気になってしまう。
誰の何という本なのか、見ずにはいられない。
そこに置いてある本のセンスによってそのショップのセンスを計ってしまったりする。
ブック・デザインのセンスというよりも、内容の方のセンス。
ビジネス書なんかだったりしたら興醒めもいいところ。
サイ・トゥオンブリの画集とか、ドナルド・ジャッドの本とかだったりしたら、おおっ!なんて思うんだが、まだそんな店は見たことない。
たいていはよく分からない洋書が置いてあったりする。
このあいだはどこかで数学本の洋書が置いてあったけど、あれはなかなかいい感じだった。
料理本の洋書とかも結構いい。

今日は自由が丘で本を4冊買った。
ニューヨーク関係の本2冊。
動物行動学者の本1冊。
武田泰淳の随筆1冊。

2010年8月28日土曜日

「巴里アルバム」



なんとなく入った古本屋で思わぬ掘り出し物を見つけたときってのはなんとも嬉しい。
中古盤屋でレア盤を安く発見したときと同じように、なんだかその日がとても良い日だったような気になるもんだ。
今日西荻にて、福島慶子著「巴里アルバム」(三笠文庫/昭和26年発行/定価 六十圓)という本を発見。
本としてのたたずまいがとても良かったので手に取って読んでみたら、これが当たり。
全部パリに関する話。
旧仮名遣いながら読みにくさは無い。
あとがきにはこんなことが書いてある。
『戦争のどさくさや疎開騒ぎでほとんど身の回りの物をなくした時、不思議と巴里の記念アルバムが何かのガラクタに混ざって無事残った。私は今でも時々これを眺めて昔を懐かしみ、つくづく平和というものの有り難さを感じるのである。もし私が音楽家ならこういう感情を音楽に現したい。しかし、そんな事は及ぶべきもないので、筆で一つのアルバムを作ってみた。ここに集めたものは、すでに発表したものや新しく加えたものなど、いろいろ混ざっているけれども、兎に角、フランスという國の平和から生まれる自由、快楽、暮しの営み、といった幸福な雰囲気が、少なくとも読む方に伝えることが出来たら、と私はひそかに願っている。』
これを読んだだけでも、この本は読むに値するってことが分かる。
Amazonで調べたら福島慶子の本はすべて絶版でどれもかなりプレミアがついている模様。
この「巴里アルバム」に至ってはAmazonどころかgoogle検索にも引っかかって来ないのだが…。
レア本なのかな。いや、単に駄本とか…?
とても面白い本なのに、もったいない。
そんなわけで買ったばかりの「巴里アルバム」を持ってスタバへ行き、読んでたのであった。

2010年8月22日日曜日

鳥の鳴き声



鳥の鳴き声だけの入ったCDは結構持ってるが、虫の鳴き声だけのCDも持ってるのだ。最近は夜になると虫がいっぱい鳴いてるのでCDの出番はないけど、冬とかに虫のCDを聞くとなんだか気分よくなることがある。

自分の葬式に流して欲しい曲は何か?というよくある質問がある。たぶんバッハを選ぶ人が多いのでは(しかもグールドで)と予想するんだけど、どうなんだろ。はたして実際の葬式でそれらの曲を流すなんてことがあるのかどうだか知らないが、故人の選んだ曲がノイズだった場合など結構迷惑なんだろうな。いや、J-POPの方が迷惑か…。聞かされる方は思わず噴き出したりするんだろうな。

ところで、僕が自分の葬式に流して欲しい曲を選ぶとしたら何にしようか、なんてことを考えると眠れなくなってしまうのだ。際限なく考え込んでしまう。だいたい、こういうの考えるのがたまらなく好きなのだ。無人島盤とか。でもさんざん考えたあげく結局は鳥の鳴き声のCDを選んじゃったりして。というかそれ曲じゃないし。

2010年8月13日金曜日

近くが…


■最近、近くがよく見えないのだよ。
コンタクトしてるとぜんぜん見えない。
文庫本だってずいぶんと顔から離して読むことになる。
ただ、コンタクトを取ればよく見えるんだけど、そうすると今度は遠くが全く見えないわけで。
これ読んで笑ってる人もある日突然来るよ。
まず、食べてるものがよく見えないことに気付く。
お箸に乗ったごはんとか、お箸でつまんだおかずとか、ぜんぜん見えない。
味噌汁を飲もうとして、味噌汁の具がぜんぜん見えない。
変だな、と思ったときにはすでに老眼。

■今まで会った人の中で強烈に印象に残ってる人というのがいる。
その中には1、2回くらいしか会わなかった人もいるし仲のよかった人もいる。
その人たちは今でもことあるごとにふと頭に浮かんでくることがある。
こういうのって何なのだろうね。
何かありそうだ。

2010年8月7日土曜日

マグカップ


■散歩中にたまたま見つけた古本屋でどうでもいいような100円本を買ってどこかのカフェでゆっくりそれを読む、ということをやりたくなった。
そのどうでもいいような100円本は秋元文庫のファニーシリーズだと尚いい。
http://miya-bon.hp.infoseek.co.jp/

■よく行く雑貨屋でセールをしてたのでマグカップを買った。
前々から買おうかどうか迷ってたもの。
カルピスみたいな水玉で、いい感じ。

2010年8月6日金曜日

スタバに駆け込む



■昨日はスタバで植草甚一の「ぼくのニューヨーク案内」(晶文社)を読み、今日はスタバで植草甚一の「植草甚一コラージュ日記・ニューヨーク1974」(平凡社)を読む。
どちらも読むのはもう3回目くらい。
「植草甚一コラージュ日記・ニューヨーク1974」の帯にはこんなことが書いてある。
『J.J氏が初めて海を渡ったのは66歳のときだった。1974年。あこがれのニューヨーク!本の街。その興奮と感動とシビれる日々をお伝えしよう。』
植草甚一の本を読んでるとこちらまで楽しさが伝わってきておもしろい。

■先日のっち夫妻がやってきて、庭の草取りをしてもらったので、すっかり奇麗になった。
この暑い中に庭に出られるってのがすごい。
僕はエアコンの効いた部屋にずっといたわけだが…。

■最近いつも夜中に暑くて目が覚める。
で、クーラーをつけてからまた寝る。
今年の暑さはちょっと異常。
昼間とか、駅に行くのも命がけだし(笑)。