2010年2月8日月曜日

キャンディーズ

■思い込みと錯覚を排することは非常に難しい。
なぜなら、この世に生きてるかぎり必ずなんらかの思い込みを土台にしてるわけだし、なんらかの錯覚のもと物事を判断しているわけで、それらを排するとは脱世間で悟りを開くといったようなもんなのだから。
あるいはデカルト的懐疑論を徹底するようなもんなのだから。
ところで、音楽にしても絵画にしても文学にしても、それら思い込みと錯覚を持ったまま接すると当然のことながら狭く貧しい鑑賞となる。
しかしながら個人が感じるクオリアは狭いとか貧しいとかということとは別次元の問題で、思い込みや錯覚を持ったままであっても垂直方向にはいくらでも感覚を掘り下げることが出来る。
好き嫌いというものもこの方向性での話だろう。
ということは、好き嫌いというのは思い込みと錯覚の産物か?

昔から不思議に思う感覚で「なつかしさ」というのがある。
とある音楽になつかしさを感じる場合、その音楽への評価は上がるだろう。
昨日ふとしたきっかけでキャンディーズをYoutubeでいろいろと見てたのだが(笑)、デビュー曲からラストの曲まで全部知ってて驚いた。
しかも、どれも聴くのは小学生時代以来で、妙になつかしい。
このなつかしさのせいなのか、どれもやけに素晴らしい曲に思えた。
なつかしいものに対する評価が上がるというのは一体どういうことか。
なつかしいという感覚を評価してるのであって、曲そのものを評価してるのとは違うのかな。

ところでキャンディーズをYoutubeで見るきっかけとは何だったかといえば、「ドリフの早口言葉」での志村の振り付けってキャンディーズの「やさしい悪魔」が元ネタだったよなあ、なんてことを思い出したことなのであった(笑)。

ドリフの早口言葉での志村の雄姿(3:40あたりから)
http://www.youtube.com/watch?v=egTxRWXQI84&feature=related
キャンディーズ「やさしい悪魔」(スーちゃんかわいい)
http://www.youtube.com/watch?v=6Xh5I6MGIow&feature=related